那須野の旅人

旅の行く手にはどんな世界が待っているのでしょうか・・・

茶臼山麓賽の河原


                     山麓のマグマ噴気活動
この記事は長い文章が多いので多分読まれる方は少ないと思いますが・・・
つい先頃の御獄山の突然の噴火は噴火予知の盲点を如実に示すに充分であった。日本列島には
110もの活火山ががあり世界で最も多い。その中で常時監視対象にあるのは47火山だそうである。

ここに来て仙台管区気象台は10月9日、宮城、山形県境の蔵王山(1841メートル)の山頂付近に
ある「お釜」で水面の白濁が確認されたと発表した。 短時間で消えたものの、前回の噴火の際にも
同様な現象が見られた事から、噴火の恐れがないか監視体制を強めている。

自宅から山麓まで約1時間の距離にある茶臼岳も活火山で常時監視対象47火山の一つである。
その山麓の湯本温泉は昔から栄えた温泉街で、すぐ近くに殺生石という伝説に包まれた場所があり
そこからゆるい傾斜で温泉街近くまで賽の河原が続き、今でも硫化水素の噴出が所々に見られる。


茶臼岳と那珂川
1410年(室町時代)茶臼岳の大噴火があり、多量の火山性泥流や溶岩の噴出があり270名もの
死者が出たと、 信頼できる室町初期の史書 「神明鏡」 にあるようだが、 それがどこへ達したかは
不明である。学者は三斗小屋方面の斜面と見ているが、 そこは当時270名もの犠牲者が出る程
の集落はなかった。下図で見ると茶臼岳から殺生石に至る峡間があるが、 そこを一気に火砕流
が湯本温泉に流れ下ったならありうると思ったが、地元の研究者に聞くとそれはないらしい。

 賽の河原岩石群の謎
それでは茶臼山麓殺生石下賽の河原の岩石群はどこから来たのであろうか?
研究者によれば上の写真の2枚目背後の山峡で安政年間に大きな山津波があり、それが偶然
昔から茶臼岳のマグマ活動でガスが出ていた現在の賽の河原に達し、以来岩石が残ったという。

茶臼岳と那須湯本周辺

                  教傅地獄伝説と千体地蔵
後醍醐天皇の御代(1318年)白河に教傅という若い住職が母親と一緒に前任者から受け継いだ
お寺に住んでいた。彼は生まれながらの不良で、 その日も悪友2人と一緒に那須の温泉に入浴
がてら殺生石見物に行くことになった。 早朝出かける際に母親が作ってくれた朝餉を足蹴にして
家を出て来たように僧侶になっても不良ぶりが全く直っていなかった。

さて3人揃って殺生石を見物していると俄に雲行きが怪しくなり雷が轟いたかと思うと殺生石一帯
の地面からは火炎が立ち上り激しい地震と同時に真っ赤な溶岩が吹き出してきた。
3人は慌ててその場を逃げ出したが教傅だけが逃げ遅れてしまい溶岩に呑み込まれた。 それに
気づいた2人がかけ戻って教傅を助けようとしたが既に手遅れで、教傅の下半身は真赤な溶岩で
焼けただれていた。苦しい息の下から教傅は母親に対する朝の行いを反省し、自分は地獄に堕ち
て当然だと言いながら溶岩流に呑み込まれてしまったのである。

その後しばらくの間殺生石付近は火山性泥流がのたうち回っていたがある年に起こった山津波で
さしもの泥流も埋まってしまった。享保5年になりそこが固まったで、教傅の死を哀れに思った湯本
温泉の有志が大きな地蔵尊を建て毎年小さな地蔵も建て続けた。それが千体地蔵だという。
それにしても教伝地獄の伝説は1318年と具体的で内容もリアル。山麓噴火を示唆していないか?


                       千体全てが合唱している
教伝地蔵


                        教伝地獄と千体地蔵
                     下の画像クリックで5枚あります

賽の河原に祀られた千体地蔵の一部

                  金毛九尾の狐伝説と殺生石
平安後期鳥羽上皇の時代、中国で悪逆の限りを尽くしていた金毛九尾の狐が日本に狙いを定め
玉藻の前として宮中に入り込んだ。その美しさは群を抜いていて、たちまち鳥羽上皇を虜にした。
やがて上皇の健康が次第に悪化して政務も執れなくなってきたので、 側近たちは訝り陰陽師の
阿部康成に依頼して祈祷を行った。康成は悪霊の存在を確認し強力な魔除けの術をかけたところ
たちまち玉藻の前の姿はおどろおどろしい金毛九尾の狐に変身すると東北方の空高く舞い上がり
消え去った。人々は安心しその後の上皇の健康もみるみる回復していった。

しかし、それが終わりではなかった。1ヶ月も経たないうちに遥か北方の下野の国那須岳付近での
九尾の狐の残虐行為が都にも伝わってきた。 朝廷はこれに対し弓の名手で聞こえた三浦介義明
と上総介広常に数万の軍勢を与えて九尾の狐討伐を命じた。
この思い切った作戦にさしもの金毛九尾の狐も茶臼岳山麓の山中に追い込まれ三浦介と上総介
の放った矢で絶命し大石と化した。 しかし石になってもその毒性は消えることがなく大石に近づく
人や動物、近くの空を飛ぶ鳥や昆虫類などを悉く殺す殺生石となった。

朝廷はこれを憂い、会津の名僧玄扇和尚にこれを調伏せよと命じた。 和尚は経文を唱えながら
大石に近づくと用意してきた金槌を渾身の力を込めて大石に振り下ろした。すると大石は三つに
割れて一つは海津に一つは備後にまで飛んだ。残った一つはそこに留まり今もなお毒気を残して
異臭を放ち那須山麓の湯本温泉近くに置かれたままになっている。


                     殺生石周辺を散策
   殺生石や教傅地獄の上方に温泉神社へ通じる山道があり、殺生石横から登って散策した
     下の10フレームにマウスオンです。サムネイル右から3、4番目のアニメ含め13枚

<
湯本温泉の学校の門外にある白面金毛九尾の狐のモニュメント
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                  特別掲載 那須湯本鹿の湯温泉
開湯は非常に古く1300年前と言われている。文献上では天平十年(738)奈良正倉院文書の中に
鹿の湯の記録があるとの事。名前の由来は猟師が射損じて逃げた鹿が傷を湯に浸かって癒して
いるのを見て、自分も試してみると傷や疲労に効果抜群だったことから里人の間に広めたという

                     下の画像クリックで3枚です
<<


  1. 2014/10/15(水) 23:15:38|
  2. 風景
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  4. | コメント:4
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コメント

火山予知

こんにちは
暫く更新だけにとどめていました
出たり入ったりと忙しく山を駆けずり回りました

今回行った山は殆ど人と会うこともなく、それだけに登山道の整備も北アルプスのようなわけにはいかなくて、私のような体力のない人間には大変な山でしたが、何とか帰ることができました

全国に110もの火山があり、御嶽山の様に多くの犠牲者をだし、それでも噴火の予知は本当に難しいそうです
蔵王のお釜で水面の白濁が確認されたとは。。。ちょっと心配ですね

日光白根も那須岳も、そして岩手山もどこもあちこちに活火山がありますが、それが噴火するのは何百年に1度とか~で難しいですね
富士山も実は活火山ですが、今の所大丈夫でしょうね

那須岳の麓にある殺生石の伝説、初めて聞きました
賽の河原に祀られた千体地蔵は今迄に行ったことがありませんが、今度は行ってみたい気がします
鹿の湯という温泉もよさそうですね

私は今回、奥会津と尾瀬の方、そして日光の裏街道を歩いてきました
全部歩く旅ばかりでしたが、足の疲れはありません
あの尾瀬ヶ原も燧ケ岳が噴火してできた湿原ですよね
地球の活動が活発化するとまた噴火しないとも限りません
常に注意しておかなくては、地震予知も火山噴火予知もまだまだ人の手の及ばない所には恐怖がいつも付きまといますね
幸い私の周辺は全く火山がない分温泉もありませんが、富士山が噴火するとそれはそれは日本の半分くらいは影響を受けるでしょう
神々の怒りを誘うようなことはしないようにしなければ…と思います
  1. 2014/10/16(木) 14:25:53 |
  2. URL |
  3. 花ぐるま #-
  4. [ 編集 ]

花ぐるまさん

コメントありがとうございます。
花ぐるまさんは現実的で花とか山とか目に見えるもの以外の伝説や歴史
・音楽・文学などの目に見えないものにはあまり興味を示しませんね。

地震・噴火などの余知も実態としては目には見えませんが、必要ですね。
歴史を学ぶことにより現実の世界の姿を見極めることができるといいます。

火山の噴火は前回が何百年前だからといって油断は禁物です。
それは噴火の歴史を見れば分かることで、400年ぶりに
大噴火をした例もありますね。富士山も宝永年間の噴火から
300年経っていますが、今その噴火が心配されています。過去の例では
大きな地震があった数年後に大地震の発生が多いと言われています。
那須茶臼岳は大噴火が1410年ですから600年も前なので
もはや噴火はないだろうと地元役場も、観光協会も安心しているので
今回の記事は一つの警告の意味でまとめてみました。
蔵王も那須も東日本大地震の震源地に最も近い活火山だからです。

トルコのトロイア遺跡のように、伝説と思っていた伝承が発掘調査で
事実であった事が分かったという例もあり、
具体的な内容の伝承が見られる那須の教傅地獄伝説もバカにはできません。
  1. 2014/10/16(木) 17:59:32 |
  2. URL |
  3. 松ぼっくり #-
  4. [ 編集 ]

伝説

こんにちわ~
大変興味深く読ませていただきました。
一度では無理ですので5回ほど・・・

まず1410年の茶臼岳の大噴火、270名もの犠牲者が出たというのに位置が分からないというのは本当に不思議なことですね。
今のように登山者がそんなに大勢いるわけもありませんものね・・・

教傅地獄伝説と千体地蔵のお話は1318年ですから、大噴火の前になりますね。
リアルな内容から「良いことをしないと地獄に落ちる」「山(活火山)を侮ってはいけない」といったことを教えてくれてるように思いました。
大きな手を合わせてる千体のお地蔵様の祈りの声が聞こえてくるようです。

金毛九尾の狐伝説と殺生石の伝説、おどろおどろしいお話、怖いもの見たさの心境で読ませていただきました。

我が家の近くの黄桜酒造には河童資料館があり、
全国の様々な河童が紹介されていますので、何度も見ました。

日本にもたくさんの伝説がありますが、まんざら嘘ではないような気がします。
上手く言えませんが何かを教えてくれてるようにも思いますし、楽しいお話には夢があっていいですよね。

鹿の湯のお話は信ぴょう性がありますね。
動物は本能的によく知っていますから・・・

噴火や地震の予知、動物の方が敏感に察知するのでは・・・野生の動物の動きを研究するのも一つの方法かもしれませんね。

明治初期の那須湯元温泉の賑わい凄いですね。
それだけ治療の効果のある温泉ということでしょう。
寒くなりますと温泉でじっくり温まりたくなります。

読み応えのある記事と、美しい景色も見せていただきありがとうございました。
























  1. 2014/10/17(金) 17:27:01 |
  2. URL |
  3. magamik #-
  4. [ 編集 ]

magamikさん

こんばんわ 長いまとまりのない記事を読んでいただき恐縮です。

1410年の茶臼岳噴火の死者は180だとか270だったとか言われ、
多い方を取りました。600年も前ですがすごい噴火で大量の硫黄が噴出し
現在の山容が形作られたようです。犠牲者の出た場所が特定できないのは
600年も前で、その間の地殻変動や山津波のせいかもしれません。
近くの朝日、三本槍岳はもっと以前に噴火したようで歴史に記録はなく
何万年も前かもしれず、今は冷えきっています。

とにかくこの場所は伝説だらけで、教傅地獄の方は過去の噴火の
何らかの暗示ではないかと思っています。
九尾の狐は京都と那須が計らずも結びついていますが
この伝説は全国的にも良く知られています。詳しく記述すると
膨大な物語となって到底書ききれない位です。

明治頃の那須温泉は記事の絵図を見ると現在よりも範囲が広く
かなりの人気があったようで、他の温泉が次々に発見されて
人気が分散し今の規模になったようです。車の発達で
あちこちに旅館、ホテルができ那須9湯とも10湯共言われています。

  1. 2014/10/17(金) 22:52:13 |
  2. URL |
  3. 松ぼっくり #-
  4. [ 編集 ]

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