那須野の旅人

旅の行く手にはどんな世界が待っているのでしょうか・・・

畜産草地研究所公開デー



毎年恒例となっている独立行政法人畜産草地研究所の内部施設が公開される日が来ました。曇りがちの
土曜日でしたが、自宅からほど近い研究所ですので早めに到着しました。

独立法人とは端的に言えば半官半民の非営利団体で、国の行政に直接関わらないがその一部を担って
活動する団体で他にも社団法人や財団法人等があり半分は民間の企業の様でありながら半分は公務員
のような性格を持っていて非常に分かりにくい団体です。 故に天下りの温床にもなりかねず、民主党政権
時代には廃止された団体もある事から、 ここ草地研究所もその存在を維持しようと、 積極的に必要性を
喧伝(けんでん)しているのでしょう。

庁舎正面

そうした難しい問題は別にして、農研機構の一角を成している当研究所はこの日に限っては大サービス
をしてくれます。先ず那須牛の焼肉を入場者全員に提供、アンケートに答えると3色卵が配られたり、
バター作り体験、羊毛工作教室、ブロッコリーのDNA検出など盛り沢山でした


                普段は立ち入りが禁止されている草地は最高の環境です
草地研内風景

                 その日の敷地内風景  画像クリックで3枚です
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                    体験広場の様子や焼肉サービスなど
                         自動スライド5枚です





                  畜産草地研究所の開発した朝萌芝植栽例
            定着性に優れ繁茂力も強く病虫害も少ないので省エネ管理ができる芝
                         画像クリックで5枚です




                       ベールラッピング済み
      ロールベールラッピング済み


                   ロールベールのできるまでを一覧にしました

      ロールベールのできるまで


       下の動画はラッピングを見せるためのもので、既ににラップされたものを使っています。
       正確にはラッピングする前はむき出しの乾燥牧草を丸めたままの状態です (上図④)






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  1. 2013/10/27(日) 17:29:13|
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ハマギクの咲く岬・・・・・五浦(いづら)海岸


例によって北関東向けのNHKテレビで 北茨城市五浦岬のハマギクが見頃というので
3.11後では初めて出かけてみました。那須からは比較的海の近い場所にありますが
車で片道4回も峠を越えないと着きません。約2時間半のドライブです。

先ず五浦海岸の入り口である大津港を覗いてみました。震災の大津波で大きな被害を
受けましたが 現在は一部を除き以前の姿に近くなっていました。帰りがてら立ち寄って
新鮮なサンマを買った松野屋も津波が膝まで達したそうですが建物は無事でした


復興した大津港


画像クリックでBGM 「浜風の慕情」
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下の画像クリックで 別窓に拡大画像 が表示されます
画像はプラウザの☓で閉じてください

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下の小画像にマウスオンです <
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表紙説明
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日本美術院と岡倉天心そして五浦海岸
岡倉天心は思想家であるが明治23年当時は日本美術学校(今の日本芸術大学)2代目校長であったが
天心の新しい日本画の創造に反目していた一派の誹謗中傷が原因で 美術学校を追放されてしまった。

それを機に教え子であった 福田眉仙、横山大観、下村観山、菱田春草、西郷孤月 などを引き連れて
日本美術院を設立し活動を始めた。それから間もなく天心はインド、中国に遊学、主に哲学の造詣を
深めて帰国後教え子達と日本美術院の拠点を上野の谷中から茨城県の五浦海岸に移したのである


再建された五浦海岸六角堂遠景
六角堂は岡倉天心の宇宙哲学の観点により設計された

再建後の六角堂

この画像は3.11津波で流される前の六角堂。 下は流された後の土台
3.11大津波前の五浦海岸六角堂

津波で六角堂土台ノのみ残った

五浦海岸には天心記念五浦美術館があります (有料)
伝統美術を守り後世に伝えるため幅広い活動を行った天心。  天心が創設した日本美術院で当初から
行われた国宝彫刻修理事業は現在も美術院 ・ 国宝修理所へと発展的に受け継がれている。館内には
天心のそれら活動を示す資料や美術院が修理した仏像、修理記録などを展示紹介しています



  1. 2013/10/21(月) 01:23:40|
  2. 小さな旅
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ミステリー ・ツアー


何度も利用している白河市の旅行会社タビックスジャパンの秋季ミステリー ・ ツアーに
参加しました。行く先は当然秘密なのですが参加申し込み段階での案内書には行く先の
ヒントが記されているので大体見当がついてしまいました。ヒントは不要かと思われます
この記事では場所を伏せて順路を画像と共に辿ってみます

東北道郡山ジャンクション・・・ 果たしてどっちへ ?
郡山ジャンクション



途中の車窓から雨に煙る風景
途中1

立ち寄ったサービスエリア (トイレ休憩)
途中2



最初の目的地はある水族館でした。小雨は止んで薄日が射してきました
土曜日とあって館内は家族連れでいっぱい

水族館スライド


館内水槽の動画。イワシの群泳&タイ類や中・大型魚の泳ぎです
大人気の屋外イベント会場のイルカショーは末尾に載せました



館内大水槽の魚たち (一部)
下側の小画像にマウスオンです <
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表紙説明
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昼食は買い物がてら海辺の市場の系列店で
発泡スチロールに(ズワイガニ1杯、ふぐの一夜干し4枚、アジ干物5枚、海苔)などの土産付き


食事と買い物



昼食と買い物の後バスで45分、ある山のロープウェイへ
有名なタワーがあるので場所の見当がつくでしょうか。画像クリックで5枚です





最後に訪れたのはドラえもん工場でした。キタロー内に併設されています。
キタローは刃物や洋食器の店でドラえもんスプーンも展示販売されている


画像オンマウス・アウトで2枚

同じく画像オンマウス・アウトで3枚


ドラえもんスプーンの製造工程動画



最初のスポット水族館のイルカショー
ここでミステリーツアーの場所が良く分かります





                  途中の画像は阿賀野川と阿賀野川SAです
                  タビックスジャパン日帰りミステリーツアーの順路
                  1.新潟市水族館マリンピア日本海  2.寺泊港食事&ショッピング
                  3.弥彦山ロープウェイ  4.ドラえもんスプーン工場見学



  1. 2013/10/16(水) 00:27:12|
  2. 旅行・イベント
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芭蕉も立ち寄った白河関・・・・・奥の細道十章目

              みちのくと近江をつなぐ東山道古代の関跡
前々記事で福島県境の簑沢彼岸花の里を載せましたが、そこからほど近くに白河関跡があるので
久しぶりに訪ねてみた。 簑沢からは峠を一つ越した位置にあり、 途中かなり寂しい場所も通るので
往時の旅人は苦労したことでしょう。現在ですらそう感じるのですから古くはどうだったか・・・
この記事はボクの記録でもあり非常に長いのでお付き合いしていただくのも恐縮です。お先へどうぞ。

古歌にも多く詠まれている白河の関は奈良時代に造営されたようで陸奥への通行を厳しく取締まって
いた。それが中世になってからなぜか閉ざされたようです。松尾芭蕉の奥の細道紀行の際にはすでに
無かったようで、芭蕉も古関関跡をはっきり確認できなかったようだ。ここでは句も詠まれていない


芭蕉「奥の細道」経路

                        芭蕉と曽良の像
この像は古い由緒あるものではなく平成元年に「おくのほそ道」紀行300年を記念して建てられた師弟の
像で、台座には次の須賀川で詠んだ芭蕉の句と、白河関で詠んだ曽良の句が刻まれている

芭蕉と曽良の像

東山道や奥州カ街道の昔
                       芭蕉と白河関跡
芭蕉は黒羽の浄法寺家で奥の細道中最も長く滞在し、その後雲巌寺から那須の殺生石を訪ずれ、九尾
の狐伝説の場を確かめている。その後上図のように芦野に戻り旧東山道から白河関跡を目指した


白河の関跡

元禄2年当時の白河藩主は松平(奥平家系統)忠弘であった。現在に残る関跡などはその後白河藩主と
なり老中にまで昇りつめた名君松平定信が調査して決定したものであり、芭蕉が訪ずれた忠弘の時代は
ハッキリした場所が指定されてなかったので芭蕉も折角やって来たのにガッカリしたらしく、ここでは
句を詠んでいない。曽良だけが 卯の花を かざしに 関の晴れ着かな と詠んでいる


古関跡の碑

                      古代関所の役割
古代律令制における白河の関も同様で公民を戸籍に登録して勝手な移動を規制していた。それにより
全国的浮浪の阻止、中央で発生した謀反の関係者の逃亡の阻止、政府に不都合な情報や実行者による
地方への漏れ等を阻止する情報統制の役割を果たしたと考えられている。故に関の構造は厳重だった


                        現白河市旗宿にある白河関跡の防塁山

防塁山

 古代白河関跡の発掘は昭和34年から38年にかけて行われ、現在旗宿の地が松平定信が定めた
 白河関跡であることが実証された。 防御土塁や館跡などがあるが今回は土塁周辺の風景から

                     下のサムネイルにマウスオンです
丘の中心には役人が常駐した頑丈な館があり、周りはこうした土塁で防御れていた

                            現在の東山道
中世までは近江から陸奥宮城の多賀城まで重要な官道だった東山道も 旧奥州街道と共に明治になると
すっかり衰え、 今では新しい街道が建設されて奥州街道も東山道も294号国道に吸収され白河に通じて
いる。道の駅などもできて、その近くから白河方面に抜ける旧東山道はかっては義経や芭蕉、伊達正宗
の南下、戊辰戦争の官軍が利用したという重要性が失われ車の通行もあまり多くない。それだけに彼岸
花の里のような長閑な風景がいまだに残されている。


今の東山道


                芭蕉と曽良は幕府の隠密だったとの俗説
                   奥の細道の旅は主に仙台藩の内情探索だった?

        芭蕉と曽良の野行き
                                      那須野を行く主従 Google フリー画像より

これはあくまで俗説であって、現代のようにPCによるデータも写真・ビデオの記録もない時代ですから文献
などに少しでも疑問点があると、自由な発想で興味本位に説を唱えることができる訳です。
無責任のようでも、それはやはり面白いもので、色々と想像を発展させるのは楽しい事に違いありません。

先ず隠密だったと思われる根拠としては
第1に・・・奥の細道の膨大な距離です。全行程600里2400kmにも及ぶ。「奥の細道」本文のある章節では
一日に50㎞以上も歩いているようで、ある区間は馬を利用し、足も丈夫であったにせよ、芭蕉は当時の
年齢で45歳、現代なら70歳代です。曽良は当時37歳くらいで今なら50代です。曽良は若いので平気だった
と思われるが70代での芭蕉が未開発の当時の街道を半年にわたって辿るというのは常人では考えられず、
たとえば那須野の通過などは並大抵のことではなかったでしょう。当時の那須地方は人も住めない荒野で
山賊が横行し、熊や野犬等が人を襲う危険極まりない地域でした。それなのに道に迷ったとの記述はある
がそうした危険に遭遇したという記述は全くない。たった二人での野行きがどんなに厳しいものか、 その
心情を述べた記事も皆無です。これは芭蕉の出生地が伊賀であり幼少の頃から忍者のような鍛錬を重ね
ていたからで、俳諧師であっても身体が強健で幕府の要人もそれを知っていたので依頼した。

第2に・・・
旅の資金である。 当時の俳壇で芭蕉はかなり有名で地方に弟子が多かったのは黒羽城家老の浄法寺家
との交流でも分かるが、主に関東周辺であり宿を借してくれるような知人は陸奥や北陸には少なく、 野宿
したという記述もないので、ちゃんとした旅籠に宿泊していたらしい。かなりの現金を所持していたと思われ
一介の俳諧師にそうした資金があったのだろうかという疑問、あくまでも推察である。

第3に・・・
芭蕉は 松島探訪の時仙台城を訪れているが、記録ではその際に大手門から入城したらしい。
通常大手門から入るのは藩の要職にある者や他藩の重役以上、勿論幕府の使者などであって、一般人の
芭蕉が大手門より招じ入れられた裏には幕府からのそれ相応の密書を託されていたのであろうとの説で、
当時の江戸幕府は日光東照宮の改築で多大な資金が必要で、仙台伊達家に多額の寄付金を要求しして
いた事から、伊達家において不満が溜まり不穏な動きがあるとの噂があり、芭蕉に何気なく城下や城内の
様子を探らせるため密偵であると悟られないなんらかの書状を持たせたのであろう。というもの・・・

第4に・・・
芭蕉の奥の細道に随行した弟子の曽良についてである。
彼の存在は謎が多く未だ詳しくは解明されていないが、只者ではなく最後まで芭蕉を守りぬいている。
単なる俳諧師とは思えず、その文献出所は不明だが、 奥の細道から帰った後幕府の役人に登用されて
いるという。それも諸国の動静を監視する役職だったというから象徴的である。本当だろうか?

長くなるので 芭蕉、曽良の隠密説はこのへんで。


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                       我が家の花の最近
今頃になって大輪のダリアが開花した。3本中2本が開花したが1本は風のため根元から折れてしまった


                水戸へ行った後発見したコルチカムが咲きそろった



  1. 2013/10/10(木) 22:15:31|
  2. 歴史
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コルチカムが咲きそろった・・・・・水戸市植物公園



花の少ないこの時季一際目立つコルチカム
NHKの北関東向けの報道で水戸市植物公園ではコルチカムが綺麗に咲いたというので
先日出かけてきました。 水戸は近いのですが最近はご無沙汰なのでナビを使いました。
例によって特に設定しないと、大幅な回り道になりましたので 帰途は「距離」に設定すると
30分以上も短縮できました。かなり新しい路が出来ていて車載ナビも戸惑う始末。

植物園は那須野が原ほどではありませんが、かなり広大でした。 やはりこの時季は花が
少ない状態でしたが、 その中でも入ってすぐのコーナーにあるコルチカムが華やかでした


水戸市植物公園


コルチカム撮影がメインで訪れたので、先ずはこの花の幾つかの表情から
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表紙説明
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水戸から帰った後で見つけた我が家の荒れた庭にも咲いていたコルチカム
家内が他から持ってきた土に球根が混入していたらしい
画像マウスオン・アウトで2枚です



その他の花の幾つか。サンパチェンス、ケイトウの原種セロシアやパキスタキス・ ルシアなど
画像上クリックで5枚(8枚)あります

黄葉も見られた園内風景の一部 (自動スライド10枚)
画像切り替え間隔は4秒です

園内風景アニメ


園内の展示室では ≪いわひば≫ の古典盆栽展が開かれていました
展示即売会はこのあと10月18日~20日にかけて行われるようです
下の小画像にマウスオンです


コルチカムとサフランの相違点
コルチカムはサフランによく似た花なので同種と思われがちですが、サフランは同系色でも
アヤメ科クロッカス属、コルチカムはユリ科コルチカム属です。 サフランには毒性はないが
コルチカムにはコルヒチンという猛毒成分があり、球根を食べると危険との事です




  1. 2013/10/05(土) 00:38:26|
  2. 風景
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秋の移ろいの中で・・・那須野が原公園



日に日に秋色が濃くなってきました
写真を撮ってもそのまま放っておくと、いつの間にか季節外れになってしまいます
まだ紅葉や黄葉には1ヶ月以上も間がある那須野が原公園を覗いてみました



今回はマウンテンバイクをやめて最近購入した電動自転車でやって来ました
あっという間に着いてしまい、少々物足りない感じ。やはり、ここはM.T.Bで来るのが最高です


那須野が原公園の秋

移りゆく秋の風景
画像クリックで3枚です
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移りゆく秋の花たち
下側の小画像にマウスオンしてください
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表紙説明
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原発汚染水の問題
那須つれづれ日記



  1. 2013/10/02(水) 00:00:40|
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Author:松ぼっくり
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